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マルプ代表のブログ(おやじの小言) Vol61
データと日々の記録
Vol.61
2021年12月19日
ここ数年、世の中AIだのDXだと言われています。その中で「データ」というものの価値が高まっています。
ネットの時代によって、これまで取れなかったデータが取れるようになりました。ネットの世界では、このページを何人見たとか、この人はどんなページを見ているので、こんな趣向があるというのがわかります(これには今後、制限がかかる方向ですが)。これらができるのはネットの世界ではデータが貯まって、取れるからです。
当社の採用ホームページでも、この期間、このページを見たのが何人で、そのうち新規の人は何人で、どのページを何分見ているかがわかります。Indeedに出されている当社の求人広告も、何人の人が見たかのデータが取れます。
AIの世界では、これらのデータを使って、コンピュータが何らかの法則を自分で見いだし、こんな趣向を持っている人は、こういうものを買いたいと思うから、こんな広告を出そうとか、こんな人にお金を貸したら、貸し倒れのリスクがこれだけあるので、貸し出し金利は、このくらいにしよう、というようなことまで提案してくれます。
これらデータを取り扱う学問領域は、今の言葉で「データサイエンス」というらしいです。学生を集めたい大学は、こんな名前の学部や学科を作ったり、そのような科目を必須にしたりとかしていますが、結局は昔からある「統計学」の延長線にあるようです。保科も大学時代の科目で統計学という必須科目があり、専門分野も統計学の手法を使って経済分析をするというものでした。なので細かいことは忘れましたが、その世界観というのは何となくわかります。
オミクロン株が重症化しにくいかどうか判断するのも、オミクロン株の集団とオミクロン株以外の集団のデータを大量に集めて、統計的に解析した結果として両集団に差が認められるどうかで判断されるはずです。それが論文という形でまとめられて公表され、世間でいう「エビデンス:」というものにつながると考えています。
先日、国交省の統計データが誤って集計され、それが重要な経済指標である国内総生産(GDP)を構成するデータであり、これは国家の判断を歪める事象で問題だと野党が騒いでいました。確かにデータが誤って集計したのは問題ではありますが、その誤りが国家の意思決定に、どのような影響を与えるかという視点での議論は聞こえてきませんでした。そのデータが仮にGDPの0.01%にしか影響を与えないものであれば、国家レベルでの影響は、ほとんどないので大した話ではありません。
こんな話をすると、データとは縁遠い世界のように思われますが、皆さんが日々の仕事でタブレットに入力している記録も「データ」です。
例えば、ある利用者の水分量が少ないかどうか判断する場合、感覚的に多い・少ないを議論するのではなく、データ(つまり、皆さんの入力した結果)に基づいて議論されるべきです。その際には実際のデータとともに多い・少ないの判断基準を設定する必要があります。「この方の年齢だと日常生活を維持するためには、少なくとも1000mlの水分量が必要だが、今日の水分量のデータを確認すると900mlなので、水分量が少ないです」。このような会話が日常的に行われると大変良いです。
利用者のお泊りの失禁が多いという場合も、何回のお泊りのうちで何回失禁したのかを把握する必要があります。多い・少ないは主観的な判断も入るので、まずは実際のデータで話を進める必要があります。また失禁が減ったと話す場合も、「先月は10回中5回の失禁があったが、今月は10回中2回の失禁だったので、失禁が減っています。」と話をした方が説得力が高まります。
皆さんの日々の記録が、データに基づいた判断の基礎になります。ただ記録を入力するのではなく、上記のような使われ方もすると意識していただけるだけでも、組織としてのレベルが上がっていくものと考えます。
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