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マルプ代表のブログ(おやじの小言)vol108
No.108
2022年12月4日
どちらかというとサッカーより野球派なので、サッカーは日本代表の試合以外はあまり居る機会がありまんでした。今回はABEMAでスマホ,PCからワールドカップを見れるので、日本以外の国同士の試合を観る機会もありましたが、十分楽しめました。国を背負っての真剣勝負はやはりおもしろく、ドラマがあります。
盛んに報道もされていますが、日本がスペインに勝ち、決勝トーナメントに勝ち上がりました。世界の多くの人が日本がドイツとスペインに勝つとは思っておらず(かつコスtリカに負けるというおまけまでついて)、全く予想外の展開でした。
ドイツに勝ち、コスタリカに負け、かつドイツとスペイン戦ではドイツが後半スペインに追いつき(この瞬間はスマホからリアルで見ていました)引き分けになったときは、「世の中、甘くないなあ」と思いました。スペインは、も日本戦の前では決勝トーナメント勝ち上がりを決めておらず、真剣勝負で来るだろうから、良くて引き分けと思っていたのですが、素晴らしい結果になりました。
試合後のインタビューで日本の森保監督が、「終了間際に『ドーハの悲劇』」のことを思いす瞬間があった」と言っていました。ほぼ同じタイミングで私も「ドーハの悲劇」のことを思い出していました。『ドーハの悲劇』」とは、同じドーハの地で日本が初めてのワールドカップ出場がかかった試合で、試合終了寸前にゴールを決められ、ワールドカップ出場を逃した試合のこと。森保監督は選手として出場し、私はテレビで試合を生で観ていました。そのときの失望感たるや、その当時そして今までのスポーツの試合で感じたことのない物でした。スペイン戦の最後も同点にされたら、グループリーグ敗退が決まる状況だったので、同じことが起こったら、相当ショックなことでした。
でも、そんなことは起こらず、そのまま勝ちました。スペイン戦も勝ったことで、ドイツ戦の勝ちは、単に運が良かったのではなく、実力が伴って勝ったことを世界に示せたという点でも、喜び倍増でした。
そのスペイン戦でゴールを決めた田中選手とアシストをした三苫選手は、同じ小学校の1年違いという報道がありました。両名とも私が以前住んでいた「鷺沼」というところの出身で、通っていたのは鷺沼小学校。町田鵜野森から自宅に帰るときに鷺沼付近の国道246号沿いに、「がんばれ三苫選手、田中選手」の横断幕があった謎が解けました。さらにこの2人も含めて、権田選手、板倉選手というスペイン戦に出場した選手が「さぎぬまSC」というサッカークラブの出身と聞き、驚きました。彼らが「さぎぬまSC」でサッカーしてたころは、鷺沼に住んでいたので、もしかしたら道ですれ違っていたかもしれません。住んでいたころは、このサッカークラブの存在は知りませんでした。
私の世代では、サッカーが盛んな地域といえば静岡でした。ドーハの悲劇の場にいたキングカス(三浦知良選手)やゴン中山(中山選手)は静岡出身でした。その後の世代の日本代表の高原選手、小野選手、長谷部選手あたりも静岡出身でした。この点でも時代は変わったなあ、と感じました。
次のクロアチア戦に勝てば、目標とするベスト8。素人からみてもこれまえの戦いを考えると、勝てない相手ではありません。ぜひ歴史を変えていただきたいと思います。
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